La mère

“母”
どこの国も“母”は同じだ。
いつも私の周りには、“母”がいる。
大学時代までは、実家で“おかん”に一人前に育ててもらう。
大学生活では、大阪で独り暮らし。
そこで友達のお母さん“おばちゃん”に、試合のたんびにおにぎりや弁当を持たせてもらう。
就職してからは、職場の主任や指導教官に、体を労わってもらい、弁当をもらったりおよばれしたり。
モロッコでも同じだ。
ラバトでのホームステイ中、体での会話で
“昼ご飯に、パン持って行ってもいい?”って聞くと、
“これも持って行きなさい”と、冷蔵庫からゆで卵を出してくれる。
最近は、大家さんの家でおよばれした後、
“あなたの分も、パン焼いたよ”って、パンを持たせてもらう。
さらに、近くにいるボランティアにも、出会って1ヶ月も経っていないのに、もうすでに、数え切れないほどご飯を食べさせてもらっている。
写真は、“ラマダン中の非常食に”と、最高のおにぎりを持たせてもらった時のもの。
モロッコに発つ日、おかんとねぇちゃんが、
“新幹線の中で食べて”
って、二人ともが弁当を作ってくれて、泣きそうになったこと。
今、親切にしてもらうと、今までお世話になった沢山の人の顔が浮かぶ。
常に私は、人に生かしてもらっている。
この恩返しをどうすればいいのだろうか・・・。
今は、“世話焼きなかぁちゃんになりたい”って、そんな風に思う。
by coffeeshopdabada | 2010-09-02 04:56