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La position

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“立場”

私は、何のためにモロッコに来たのか・・・。
モロッコに来て、何度こんなことを心の中でつぶやいただろう。
“ボランティア”という立場が、自分の中で整理できていない。

私の毎日は、カウンターパート(同僚の先生で、特に私の面倒をみてくださる人)の中学校に、その先生の授業がある時について行く。
私自身の公式な活動時間は、火曜日と金曜日の午前中の2クラスのみ。
一体何を毎日しているんだろう・・・。
カウンターパートがグランドを離れ、私に授業を丸投げすることもあった。
一緒に出勤すると思いきや、別の仕事があると言われ、更衣室のカギを渡され1人で行ったこともある。
そんな時、生徒には思い通りに指示は通じない。
そして、実技の時間なのに、説明の時間がやたらと長くなり、私も嫌だし生徒も嫌だろう。
1人で授業もできないボランティア教師・・・。
ボランティアは、モロッコの先生と一緒に授業をするから、日本の考えや技術を伝えることができる・・・。
だから先生、一緒に授業をしよう・・・。

自立するよう求められているように感じる日々。
でもそれはボランティアの求める姿ではない。
自分の無力さを慰めているように感じるかもしれないけど、そうしたい。

最近はバレーボールの授業も、ゲーム形式になってきた。
言葉をしゃべれない私は、ゲームに参加し、ラリーが続くようにプレーする。
しゃべれない、何しに来たのか分からないボランティア体育教師も、運動神経はいいと株が上がる。
カウンターパートは、グランドから離れ、生徒と一緒にバレーをする私。
伝えたいことがあっても、伝えられず、ただ一緒にバレーする私。

何なんだろうこの立場。


小学校でも、月曜と水曜の午後に授業をしている。
一緒に活動するのは、中学校教師であるカウンターパート。
モロッコの体育授業を知っている先生なので、心強い。
私が提案したことを、簡単に説明するだけで理解し、子供に伝えてくれる。
でも、説明する前に、私がフランス語で、ダメ元で子供に説明。
通じない・・・。
私のフランス語あやしいよ・・・、しかも子供たちも、フランス語習い始めたところだよ。
自分の無力さを痛感する。

何なんだろうこの立場。


小学校には、何一つ体育用具がない。
グランドはある。
体育を教える先生もいない。
そこに私とカウンターパートで行く。
そこで私ができることは、道具を作ること。
空のペットボトルを集めて、コーン代わりに使えるようにする。
古新聞をもらって、ボールを作る。

モロッコの先生たちは、こんなもの作らず、新しいものを買って授業をするんだろうな。
でも、政府が買ってくれないから、体育をしない。
何なんだろうこの立場。
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by coffeeshopdabada | 2010-12-20 07:38 | 活動

Le bilboquet

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“けん玉”

フランス語にも、“けん玉”という単語があるらしい。
なぜなら、けん玉の発祥はフランスであるから。
(形や大きさは、日本と違っていたし、他の国が発祥の地という説もありそう・・・。)

さて、最近、私のかくし芸である“けん玉”が、少しずつ活動として動き出している。
雨の日の体育の授業や、日本文化紹介での“けん玉教室”など。

そんな風に、けん玉に触れる時間に思い出すこと・・・
“あせらず、あわてず、あきらめず”

これは、日本けん玉協会が、“けん玉道”の中で大切にしている教えである。
私は、小学5年生と6年生の頃、このけん玉に夢中になった。
あんな“おもちゃ”のけん玉から、私は多くのことを学んだ。
器用さ、集中力、継続力、自信・・・。

けん玉をする時に、“あせったり、あわてたり”すると、技はほとんど失敗する。
そして、“あきらめたら”そこで終わりだ。

モロッコに来て、時々、自分に言い聞かせている言葉、
“あせらず、あわてず、あきらめず”

そんな忍耐を必要とする日々の中で、見えてきたことがある。
少し、モロッコの教育現場や社会を、否定的に表現することになるだろし、私が関わっている、ほんのわずかな人しか知らない私の意見だが、書いておこうと思う。

①教師の威厳は、体罰にあるのだろうか・・・
私の職場の中学校で、頻繁に目にするもの。
 例.バレーボールを足で蹴った生徒に対して、
   指や手、肘の関節を利用して、痛みを与える。蹴る、たたく・・・。
 言い分.誰かを見せしめにして、他の生徒がまねしないようにする。
 私見.口で説明することで、ほとんどのことが解決できるのではないかな。
    これがモロッコのやり方だとしても、私は嫌だな。

②授業、生徒は、先生にとって、第一優先ではない・・・
お客さんが来れば、授業はそっちのけ。
 例.担当授業の生徒は、ほったかされ、先生たちはグランドにこない。
 私見.その時でないと、お客さんや先生たちがいなくなるから、そうせざるを得ない。
    授業以外のことで、仕事をすることが、学校にとってプラスになることもあるから、
    そうせざるを得ない。・・・でも、子供たち、かわいそうだよ。

③ストライキ・・・
モロッコでは、労働条件が悪く、ストライキという方法で、改善を求めることが多い。
 例.先週の木曜日と金曜日、学校はお休みでした。
 言い分.ストライキ分の給料を引かれたため、その給料を取り返すために、さらにストライキ。
 私見.根本的には、教育にお金をかけない政府に問題がある気がするけど、
    犠牲になるのは子供たち・・・。

④失敗を怒鳴る・・・
 例.バレーの授業でのこと。試合形式で授業を進め、
   飛んできたボールをうまく処理できなかったら怒鳴る。
 言い分.生徒たちは3年生。1年2年とバレーを授業で習っているのに、
     なんでできないのか理解できない・・・。
 私見.できなくて普通だと思いますが。頭で理解していても、体では表現できない・・・。
    “体育は実技が大事”と、ずっと言っている先生方なら、それを克服するプログラムを考えて、
    上達するよう工夫したらどうでしょうか・・・。

モロッコでの生活が長くなり、今まで見えていたことに対して、自分の思いが生まれてくるようになった。
そして、先生に私の思いも伝えられるようになってきた。
“あせらず、あわてず、あきらめず”
そんな日々の中で、少しずつ見えてくるものがあります。


写真のけん玉は、日本けん玉協会が30本、モロッコに来る私に寄付してくださったもの。
モロッコの人たちに、けん玉を普及するために寄付されたもの。
毎日けん玉に触れることが、いざという時のパフォーマンスを左右する。
そんな思いから、最近は毎日1本持ち歩き始めました。
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by coffeeshopdabada | 2010-12-13 08:56 | 活動

Le désert

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“砂漠”

少し前のことになるけど、サハラ砂漠に友達と行ってきた。
長旅の疲れなどが、ようやくなくなり、写真を見ながら振り返ってみる。
あらためて感じることは、“きれいだった”ということ。
この2枚の写真は、お気に入りの写真。
1枚目は、朝日とラクダ引き
2枚目は、友達が撮った、朝日と子供

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自分の中に、イメージしていた“砂漠”を、ようやく訪れることができました。
世界中に存在する“砂漠”のなかで、こんな風にさらさらの砂からなる“砂丘”は、限られたところにしかないのです。
多くは、草木の生えない荒れた土地に、岩や砂礫がひろがっている。
そんな荒れ果てた大地に吹く風で、小さな砂が限られた場所に集まり“砂丘”になる。

以前、初めて訪れた荒れ果てた“砂漠”は、生きる厳しさをもろに感じた。
しかし、今回訪れた“砂丘”は、生きる厳しさというより、美しさを感じた。
砂漠に生きる人たちにとっては、“砂漠”も“砂丘”も、厳しい環境であることに変わりないだろうに。
そんなことを考えていると、日本で考えていた“環境問題”のことを思い出した。

日本にいる時は、テレビや新聞で、嫌になるほと“温暖化”“砂漠化”という言葉を耳にした。
モロッコに来てどうだろう。
テレビを見ても、内容が理解できない。
世の中では、今一体、何が起こっているのだろう?
全くわからない・・・。

日本でよく耳にした、
“そこに住む人たちは、生活に必死で、環境のことなんて考えてる余裕がない”
変な話だが、異国に住む自分が、今の生活に必死なことに気づく。
毎日、言葉が思い通りに離せないもどかしさに、一喜一憂している自分。
モロッコでの自分のできることを見つけようと、もどかしくする自分。
今の自分、生きるのに必死です(笑)
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by coffeeshopdabada | 2010-12-04 06:54 | モロッコの街